本建物は、広島市内の中心部中区小町にある。
従前の建物は、終戦後間もなく建立された建物であったと聞いている。この度本堂と庫裡を新築することとなり、この設計と監理にたずさわった。

計画:
この敷地は、広島市の中心部で、都市計画的には近隣商業地域で、防火地域にあたるので鉄筋コンクリート造のお寺を計画するのに何の心配ももっていませんでした。ところが、この地域は広島圏都市計画地区計画の区域内における建築物の制度に関する条例というものの中で、都心コア住居地区という区域に指定されていました。
これが問題のはじまりになりました。この都心コア住居地区というのは都心に建物を建てるのだから、敷地を小さく切って建ててはいけないし、建物自体も容積の最低限度を決めて、小さなものはいけないという地区でした。ここで容積率の最低限度というのが問題でした。寺院建築ですから、敷地内には墓地もあり庭もありで、当然建ぺい率は非常に低い建築物になります。そこへ必要最低限の建物を計画すると、容積率は100%にもなりません。しかし、容積率150%以上という指定です。今回計画した建物は3階建てです。常識的に考えれば建てられません。そこで、広島市中区役所建築家に例外規定はないのか質問しましたが、例外規定はないとの回答でした。
そこでやむをえず敷地を分割して、今回の建物に必要な部分だけ取り出して建物の敷地としました。幸運にも接道が南面と北面であったため、山門から本堂入口までの境内は計画敷地外とし、裏側の出入口を今回の出入口として、確認申請上計画しなければなりませんでした。それでも、建ぺい率を50%以上にしなければ3階建てで容積率を150%以上とする事はできないため、色々な努力を重ねました。特に意匠の面で涙を飲んだのは軒の出をおさえる事でした(利用する敷地を少しでも小さくしなければならなかった)。建物全体のバランスから考えると、どうしてももう少し軒を出したい、でもかなわない望みでした。敷地を分割せざるをえなかったため、どうしても軒をこれ以上出すことが出来ず、設計者として本当に苦渋の決断でした。結果足場がとれ建物の全体が姿を表した時、最初に感じたのは「軒の出がほしかった」の一言でした。
屋根については、設計の段階で仕上材を何にするのかで悩みました。瓦にするのか、鋼板で葺くか、これは住職さんの希望で鋼板に決まりました。台風の時の心配からでした(我々は重厚さを出したくて瓦を希望したけれど)。さらに、屋根の勾配やそりの設計に苦労しました。
 現場では、このそりや勾配を鉄筋コンクリートで表現するのだから、型枠大工さんの腕に頼るところが大きく、さらにこの屋根のコンクリートの打設、これには元請会社の職員さんたちの多大な技術と労力に頭が下がる思いでした。

建物の内部については、これからのお寺は、お参りに来られるのはどうしてもお年寄りの方が多くなるとの考え方から、1階玄関を入った所に本尊の分身を置き、3階にある本堂まで上らなくてもよい様にとの配慮もされました。もちろんエレベーターはついていますし、本堂、客殿や便所もバリアフリーになっています。本堂、客殿とも近代的な感覚の中に古くからのしきたりや伝統を入れたデザインでまとめあげたつもりです。
大体思っていたような建物に仕上り、引渡しを終えました。
先日お寺で檀家の皆様が集まる機会にお呼びいただき、皆様に喜びの声をいただけた時、この建設に携わった者として嬉しくもありホッとしています。